子育て相談

反抗期の中学生との向き合い方!親の悩みを解決する具体的対応4選

反抗期をむかえたわが子との生活

経験した人なら皆、「そう、そう、あんなこともあったねえ」と、共感できる日常の出来事を共有できると思います。本当に辛い毎日…子どもを育てることって、本当に大仕事なのです。

お母さん、お父さんの苦しみは

反抗期のわが子に、何が起こっているのかこの一点を、正確につかみ切れていないところに起因しています

自分が今、どこに立っていて、どこに向かえばいいのか。この確信がもてない。

だから、不安、焦り、自己嫌悪、いら立ち…様々な感情が吹き上げてくるのです。

そこで、

「今、何が起こっているのか、どんな状況なのか」について、大枠で理解ができれば、あなたの悩みは大きく軽減されませんか?

どう対処すればいいかが、ご自身でハッキリとわかれば「納得の行動」がとれるのです。

 

すると、反抗期に立ち向かう鍵は「今の子の反抗を、正しく理解する」ことが大前提なのです。

そこで今日のテーマが

反抗期の理解の仕方がわかる

と、なったわけです。

私は38年年間中学校教育に携わり、数千人の子どもたち、保護者の皆様、先生方とともに泣き笑い生きてきた元校長です。

思春期の向き合い方と親のベストな対応4選をご紹介します。

 

反抗期の中学生との向き合い方1反抗期は大枠で理解する

あんなにかわいらしかった子どもの激変

わが子に、何が起こっているのか?

この動揺‥‥多くのお母さんが経験しているのです。

私からのアドバイスです。

 

お母さんは、子育ての勉強をし過ぎてはいけません。

お子さんを、専門的に理解しようとしないことです。

理由は単純です。

あなたのお子さんが、そのようなお母さんを求めていないからです。

 

心を読む専門家に、臨床心理士がいます。心療内科には、お医者さんもいます。学校には、カウンセラーという「専門家」が相談業務を行っています。

仮に、お母さんが「子どもの心をよく理解したい」と大学勉強して資格をとりカウンセラーになったら、問題は解決に向くでしょうか?

そんな簡単な話ではないですよね。

 

だって、お母さんが「カウンセラー」になってしまったら、子どもには「お母さん」がいなくなってしまいます。

当たり前の話です。カウンセラーの母親を求めている中学生なんか、一人もいません。

反抗しているけど…素直じゃないけど‥‥

まだ、不完全な自分だけど

(大いに突っ張っても、まだ経済的自立していないので、一人前ではないことは大抵自覚しています。だけど、「私はもう一人前だ」と主張したい…)

母親だけには、今突っ張っている ありのままの自分を

信じていてほしい「●●は、大丈夫」と笑顔で言ってほしい。

自分の味方になって見守っていてほしい。

反抗期のお子さんは

こんな思いを「お母さんの表情や瞳の中に」に感じていたい、それだけです。

私は、これだけで充分だと思います。

反抗期の理解は、基本姿勢の大枠で「しっかり」とおさえるぐらいがちょうどいい

 

ただ現実は、

反抗期のお子さんを抱える「私」にはそんなに心に余裕はない。愛情はあるに決まっているけど、心がいっぱいいっぱい。現実に起こっていることで、それどころではない。

だから「伝わりにくい」、ここが問題なのです。

ここで、

思春期の子育て、反抗期の子育て中のお母さんに読んでほしい小説を紹介します。

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反抗期の中学生との向き合い方2反抗期を客観的にみる

井伏鱒二さんの『屋根の上のサワン』は、『山椒魚』とともに短編の名作です。実はこの名作に、親御さんの心の変化が表現されておりや思春期の理解へのヒントがあります。

教育関係の小説とは関係が全くありませんが、私が読むとなぜか最高の教育書に感じてしまいました。完全に職業病です

あらすじをご紹介します。大きく4つの場面で小説は進みます。

場面1は 主人公の私と「鴈(がん)との出会い」です。

この小説は「言葉にはいいあらわせないほど、くったくした気持ちで沼地を散歩していた」こんな表現で始まります。孤独な主人公「私」の物語です。

「私」は猟銃に撃たれてけがをして苦しむ一羽の「がん」を見つけます。「私」は、一生懸命に治療してやり、がんを「サワン」と名付けます。やがて、サワンは回復し元気になります。

場面2は、サワンは「私」になつき、一緒に暮らし始め、二人?の交流が描かれます。

孤独な生活は一変、サワンとの楽しい日々が続きます。

「私」は、サワンを縛り付けることはしませんでしたが、サワンの羽根を「傷つけるほど」ではないが、切ってしまいます。(心の深いところには…「いつまでも、私のところに居てほしい」「飛び立たないでほしい」という心情が描かれます。)

場面3は、今までに経験したことのない変化が、サワンにおこる場面です。

夏が過ぎある秋の日のこと、夜、屋根の上でサワンが激しく鳴いているのです。

「どうか、私も一緒に連れって言って」と鳴いているかのように。サワンの鳴き声に、ほかの鴈が鳴き声でサワンにこたえています。「私」には、そう聞こえてくるのです。サワンがいつか去っていくという不安の予感。

その不安がどんどんと膨らんでいく現実。「サワン、お前は、逃げたりなんかしない出らうな。そんな薄情なことは止めておくれ」と懇願する「私」

「私」は「三日かかっても食べきれないほどの多量の餌」をサワンに与えたりもする。どんなことがおきているか「私」は心の深いところでは、理解しています。

場面4 突然起こったサワンの一人だち、別れの場面です。

サワンはいつもより更に甲高く鳴きました。殆ど号泣に近かったくらゐです。私はじっとしていられなかった。机の前に坐って見たり、蒲団を額のところまでかぶったりして、耐えていた。私はサワンを話してやろうと決心したものの(別れたくはなかった)

現実は…サワンは別れも告げずに飛び立ってしまった。

 

サワンは「私」との生活が嫌だったわけではないけど、それ以上に「空を自由に飛びたい」「仲間と一緒に飛びたい」という本能が沸々と湧き上がる…、思春期、反抗期の心理にかぶってきます。

辛いのは「私」だけではなく、「倭湾」もまた本当の自分を探し求める必死の鳴き声なのでしょう。

一方的な私の解釈で申し訳ありませんが、これが大きな流れです。鴈と「私」のお話なのですが、私には反抗期の子どもとそれを心配する親の心情に思えてきます。

ともに成長の節目であり自然な変化でもあり、決して特別なことではない気がしてきます。

反抗期の中学生との向き合い方3親の悩みを軽くする具体的対応4選

1番目 わが子といえども、私とは全くの別人格

 

サワンをお子さんと考えて進めます。

サワンは、仲間と空高く自由に飛びたいと願っているし、飛べる力がもともと、備わっている。

私とは違うのです。私の願いが、地上で一緒に暮らすことであったとしても、どこで暮らすかはお子さんの人生です。

小説では、「私」は、うすうす気づいているのですが、「サワンのために、食べきれないほどの3日分の餌」を与えたりするのです。

客観的にみれば滑稽な行動でも、「私の必死の愛」が、伝わってきます。

多くの方が、知識レベルでは理解できる。しかし、それは、理解しているつもりになっているだけではないでしょうか。失礼ですが、親子であっても鳥と人間ぐらい違う。「子ども」は全く違う別人格であることをきちんと理解することが一番大事です。この一点です。

子どもが自分自身の資質をどう生かすか、どういう道をどんな歩き方で進みたいのか、それは自由です。

親には、できることとできないことがあります。わが子を一人の人間として適切に理解して自身に落とし込むと、意外と単純な景色に見えてくるものです。

親自身のこだわりが、事態を複雑化しているだけなのかもしれません。

2番目 コントロールされることを極端に嫌う

 

お母さんも、コントロールさせること嫌ですよね。大人なら、誰でもそうです。お子さんは、大人ではありませんが、子どもでもありません。それが反抗期。

大人になりきれていない分、余計に過度に大人を意識します。コントロールされる大人になりたいわけではありません。だから、余計敏感に反応するわけです。

「親の言うことなど、聞くもんか!!俺に指示するな!!もう、子どもじゃない!!」

保護者として、法を犯すことや人としてやってはいけないことには毅然としたいところですが…あえて刺激して関係を一層こじらせることも、ありません。

前向きな「あきらめ」もアリです。

しかし、悪態ついていても「親にあきらめてほしい」と願う子どもはいません。だから、感情的な「勝手にしろ!!」という言葉は、火に油をそそぐことになるわけです。

3番目 親の気持ちは、伝えつづける

 

1番目と2番目を踏まえて、親の願い(愛)を伝えることは大事です。なぜなら、自分の態度が悪いことは100%自覚していますから。それでも、親は味方であってほしいし、俺を理解してほしいのです。

直接では難しいかったら、手紙でもいいじゃないですか。机の上にでも置いておきましょう。私はしっかりと「読む」と思いますよ。

反抗期の子どもは、自分の領域に入りこむ親の言動に「抵抗」するのです。親が自分のポジションのままでの言動に抵抗をしているわけではありません。

「私は、こう思う」というメッセージがいいです。

これまでは「あなたは、こうしたほうがいい。」というメッセージが多かったはずです。

子どもの領域に「親は正しいのだから、言うことを聞きなさい」と一方的にズケズケと入りこんでくる親。こう考えると、お子さんの抵抗は、自然な言動と感じられませんか。

 

結局、親は「こうしたほうが、あなたのためよ」と、話したいわけです。そこを転換して「いつでも話してほしい…聴くから」と、お子さんを大切に思う気持ちを、愛を伝えるのです。

愛の反対は、無関心といいます。すると愛の本質は「相手を信じ、関心(心)を寄せ続けることです」

きっと今までは、躾の名の下、親の立場からの言葉が多かったかもしれないという、自覚が欲しいところです。

4番目 家の中に変化を ・・・・・無理やりにでも楽しそうにしている。

 

できるわけない! 

だから苦しんでいるんですよね。承知しているのですが、家の中のよどんでいる暗さは悪循環を生み余計に近づかない。

 

こんな考え方をしてください。

お母さんは、お子さんと同じように自分自身の道を歩いているのです。行き先も歩き方も、人それぞれです。お母さんには、やりたいことはないですか?

そんな余裕あるわけがない…しかし、お子さんは24時間自分のことを考えていてくれとは思っていません。

「子育て=24時間」でなくてもいいじゃないですか。「子育てはこの自立で終わりの日がいつか来ますが、親子の縁は一生です」

何歳になっても母親の笑顔は、子どもにはありがたいものです。反抗期のお子さんだって、同じですよ。自分の自身の心が満杯なのですから。反抗期の子育てからちょっとすき間をつくってあげてください。

部屋の模様替えでも、働きに出るのも、趣味を始めるのも、夫婦で出かけるのも、ちょっと変化をおこしてみてください。

例外が一点だけあります。それは

反抗期と言っても、その内容によっては対応も大きく違います。犯罪レベルや手の付けようがない暴力的な状況は、外部機関の方々に助けを求めることです。有料、無料様々な相談する場が用意されています。

例えば、各都道府県にはお子さん本人もできる「ヤングテレホン(名称は様々)」等、警察関係にもたくさん相談窓口があります。

是非、一度「屋根の上のサワン」お読みになってください。心がザワザワしているお母さんの気持ちが、主人公の「私の気持ち」とシンクロして、自分のことを客観視できると思います。

ここまで、お読みいただきありがとうございました。また、お立ち寄りください。

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