学校の先生

生徒理解の大切なこと!教師の心を扱うプロ意識【生徒指導に自信ある先生の思考転換】

「人の心などわかるはずがない」

いっけん投げやりのような言葉。心を扱うプロフェッショナル臨床心理士の言葉です。

個性豊な生徒に向き合いどのように生徒を理解するのか!生徒理解の大切さをまとめました。教師が生徒一人ひとりを見つめ抜き、生徒の心に寄り添うことで、多様な個性は輝きを増していきます。それが教師の誇りある仕事です。

この記事で生徒理解の力量向上を目指し、心の専門家である臨床心理士に学んびみませんか?

この記事で、生徒理解の重要性、心構え、プロ意識を高めることができます。

私は公立中学校の元校長です。これまでの経験を活かして先生方と親御さんを応援する「ワダチブログ」を運営しています。

心を扱うプロ同士、先生方へ自戒の念を込めて「人の心などわかるはずがない」をキーワードにして、記事にしました。

生徒理解の大切なこと!教師の心を扱うプロ意識

『こころの処方箋』 臨床心理士、河合隼雄先生の著書から引用させていただきます。

先生方に読んでいただきたい「名文」をどうぞ。

臨床心理学などということを専門にしていると、他人の心がすぐわかるのではないか、とよく言われる。私に会うとすぐに心の中のことを見透かされそうで怖い、とまで言う人がいる。

確かに私は臨床心理学の専門家であるし、人の心ということを相手にして生きてきた人間である。しかし、実のところは、一般の予想とは反対に、私は人の心などわかるはずがないと思っているのである。

この点をもっと強調したいときは、一般の人は人の心がすぐにわかると思っておられるが、人の心が以下にわからないかということを、確信をもって知っているところが、専門家の特徴である、などと言ったりする。

                              『こころの処方箋』引用

冒頭の「人の心などわかるはずがない」は

下記に続く文章が、この記事のポイントです。

一般の人は、ちょっと他人の顔つきを見るだけで「悪い人」とか「やさしい人」とわかったように思う。

これに対して、専門家は どれほどやさしそうに見える人でも、ひょっとすると恐ろしいところがあるかも知れない、と思う。あるいは、怖い顔つきの人に会っても、あんがいやさしい人かも知れない、と思っている。

要するに、簡単に判断を下さず、

人の心というものはどんな動きをするのか、わかるはずがないという態度で他人に接しているのである。

『こころの処方箋』

 

みなさんは、どのように感じられましたか?(改行や太字と下線は私が引きました)

先生方は、「一般の人」ではないですよね。私たちは、教育を仕事にするプロフェッショナルです。

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生徒理解の大切なこと!生徒指導に自信ある先生の落とし穴とは?

学び続ける謙虚さ‥「本当にこれでいいのか?」自問する

生徒からこんな訴えを聞いてしまったら、どうでしょうか?

母親がすぐ怒ってモノを投げてくる。ご飯をつくってくれない。小さい頃から、ずっと叱らてばかりだった。私は、お母さんから、かわいがられていないの。いつも一人。
おそらく、このような話を涙ながら話す「生徒の心の叫び」を聞いてしまったら‥‥

なんてひどい母親だ。母親が◎◎の原因だ。かわいそうな家庭環境だな
等々、自然と感情が込み上げてきませんか?

共感的理解を基本姿勢とする先生方にとって、それは一つの正解です。しかし、だからと言って、ここですぐに「母親は〇〇だ」「原因は母親だ」と、決めつけは危険すぎます。

冷静に考えればわかりますよね。だって、じっくり話し合ったことのない方のことが、わかるわけがないですものね。

事実は「生徒が、(今日の時点では)母親をそのように表現して話した」ということだけです。目の前にいる生徒側からみた、今日の「真実」です。

生徒からの聞き取りですから、生徒から見た「母親像」です。だからといって、母親がその通りとは限りませんよね。

教員の常識とは、自分の赴任した学校での経験をもとにした常識であること。その赴任先の学校で必死に頑張り教育活動を積み上げてきた「自分だけの経験」をもとにした常識です。

経験の違う教師はみな、本人特有の先入観(考え方のクセ)を持っているということです。

だからこそ、「私は、こう考えるが・・・どうだろうか?」教師一人一人が、このような考え方を意識するだけで、広い視野に立つ深い人間理解につながります。

この「どうだろうか?」が大事ではないでしょうか。本当にそうだろうか?落ち着け、早まるな!違う見方もあるかもしれない。

このフレーズを唱えてみてください。断然、プロっぽくなりますよ。すぐわかってしまうのなら、(自分でなくても)誰にでもできますよね。誰にでもできるとは、「そこに、専門性がない」ということ。一般の人になってしまいます。

生徒理解の大切なこと!教員の慢心は 裸の王様

決めつけは、なぜいけないか。それは、自分にとって都合イイ「決めつけ」になっているからです。

何回も指導したにも関わらず、「指導がなかなか伝わらない生徒」……いますよね。その時、「▼▼ができない■■な生徒」として、否定的な言葉で一括りにしていませんか?

そうしてしまう原因はどこにあるか?

それは学校というところは「先生の言うことにすぐ反応できて、きちんと行動がとれる生徒が必ず多数いる場所」に起因します。つまり、おおざっぱに言うと同じ指導で「できる生徒」も必ず多数いて、「できない生徒」が少数いるところが学校です。

「できない」原因は、すべて生徒のせいにして「■■生徒だから」と、簡単に一口で言い切ってしまう。言い切っちゃって、いいのですか? 生徒理解は終了ですか?もう、生徒のことが本当にわかっちゃったのですね。

これって、本当に素人ぽくないですか?私は、そう考えます。というより、そう考えるようにしてきました。

それが自分の中にあるプロ意識です。だからずっと、河合隼雄先生のあの言葉が大好きで、何度も読み返して「考え方のバックボーン」として支えていただきました。

せっかく、教師という仕事を選んだのです。「絶対、教育のプロフェッショナルになる」と、目の前の課題を自分事として向き合ってきました。もちろん、時には愚痴と承知して、「生徒にせい、親のせい」にもしてきましたが…、そもそも言っても始まらないことは、言わないように心がけました。

プロフェッショナルとは、「高いレベルの技」と「目の前の課題を、自分の問題としてとらえる考え方」を身につけた人だと思います。

教師の心を扱うプロ意識!三尺の童子を拝す

背の高さが3尺ほどの、稚い子ども。そのまま受け取れば「身長1mにも満たない幼子を、拝む」ということです。

この言葉の私の解釈は、幼児だろうが、中学生だろうが、大人だろうが、お年寄りだろうが、みんなに意思があり、「自分」があります。

だから、親子関係でも、子どもは親の所有物ではありません。

生徒も、保護者も、自分もみな 一人の人格をもつかけがえのない人間です。

特に中学生は、まだ自立をしていない立場であり「できないこと」も多いです。

でも「ああ、したい」「こう、したい」という意思があるのです。だから、先生方には、すべての子どもたちを「敬の心」でみつめ抜いてほしいのです。

「敬」とは、尊敬、敬意の敬の字です。わが子のように。

そして、下記につながります。

生徒理解の大切なこと!教師の人間観・生徒観

そもそも論ですが、先生方は「生徒をどのような存在」として、お考えなのでしょうか?

教育のプロとして、「私は、生徒ことこを●●と考えています」と、どのように表現されますか?

または、「人間をどのような存在」と考えていますか?

何、言っているの?? 

教育の仕事をしてながら、あまりにも毎日がせわしなく過ぎ去るので、こんな質問受けたこともありませんか?いざ、こんな問いかけをされても、すぐに自分らしく言葉で表現できないのではないでしょうか。

そこで、私の考え方を「たたき台」にしていただき、生徒の存在を考え直してみませんか?

2つ紹介します。

1「生徒は、人間はみな」独自の人格をもっており自分らしく成長したい、自分らしく生きていきたい」と、願っている存在である。

ふてくされている生徒、やる気を見せない生徒、無気力な生徒、うそをついたり、ごまかしたりする生徒、暴力的な生徒、様々な課題を抱える生徒…

手のかかる生徒を前に「やる気のない生徒、反抗的な生徒、自分に甘えている生徒」等々「●●が原因」と生徒側に原因を見つけ自分にとって都合イイ「決めつけ」をしたらプロの仕事ができません。

「その子が悪いわけではない。それまでの生活環境と経験がそうせざる負えない現実の生活や状況が、今の姿をつくっている。だれしも、悪態をつきたくてついているわけではない」と考える。

人は皆、成長したい、活躍したい、役立ちたいと願う存在です。大原則として、そう考えて教育活動を始めます。

生徒はみな「自分なりの目標に向かって努力し、夢をかなえたい、前に進んでいきたい」と考えているという生徒観。すべての人間が、すべての生徒がそういう存在なのだという価値観を指導のスタート地点とするのです。

この人間観・生徒観にたてば、

教師の価値観を押し付けることなく、生徒自身の考え方を傾聴し生徒理解を深めて、指導に活かしていこうとする心構え。この指導姿勢を大切にする教師を目指すことになります。

2つ目です。

2「生徒は、人間はみな」可能性を秘めた存在で、オンリー1のよさを持ち合わせている。毎日の生活の中で変化し成長していく存在である。

だからこそ、冒頭の「人の心などわかるはずがない」のお話のように、謙虚に生徒の良さを見つめる姿勢が教師には欠かせないのです。

先入観を排して、今までの決めつけた狭い生徒理解を捨て去る。

新鮮なプロの目で、すべての生徒の成長している「小さな変化を見逃すまい」とする心構えを大切にする教師を目指すことになります。

確かな教育実践の裏側には、こうした生徒の存在への考え方が土台になっているのです。

そうでなければ、教育活動はすべてマニュアル化で済んでしまいます。マニュアルは、誰でも同じように進めることができる行動様式です。そこに、きめ細やかな心の専門性をプラスしたいものです。

生徒理解の大切なこと!教師の心を扱うプロ意識【生徒指導に自信ある先生の思考転換】まとめ

今回の記事は「生徒理解の大切なこと!教師の心を扱うプロ意識【生徒指導に自信ある先生の思考転換】」をテーマにしてまとめてみました。

自分の仕事に誇りをもてるように「プロフェッショナルな教師」を目指していきたいものです。プロの仕事の先に、可能性を広げた生徒の笑顔が続きます。

この記事では、考え方の「タネ」を提供しました。先生方には

「その通り!!」を期待しているわけではなく、「私は、そう思わない、●●に考える」といった、考えるタネを提供したいのです。

理想求めて、考え続けることこそプロフェッショナルの条件です。

先生方と子育て中の親御さんを応援する「ワダチブログ」で、色々な話題を提供しています。参考にしていただけたら嬉しいです。今日も読んでいただき、ありがとうございました。

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